• ogata

読書癖①

 記憶している限り、少年期の私は決して読書少年ではありませんでした。自宅には壁一面の本棚がありましたが、私自身はむしろ外で遊び回っているばかりのボーズでした。おそらく高校生のころから本を読み始め、大学に入ってから専門書や隣接領域の本にのめり込んでいったのでした。ですから、まったく文学体験の欠如したまま青年期を迎えていることが常にコンプレックスになっていたと思い出します。誇らしき仲間には、高校時代からすでに古典文学を愛読している者もザラにいたからです。今、修立学院の中高生の顔を思い浮かべながらこのブログを書いていて、思い出したことがあります。

 

 私の場合、読書量が増えていった時期に並行して行っていたのが、日記を書くという行為でした。どうにも「日記」としかいいようがないのですが、「日記」ではありません。ジャンルで言うと「随想」、「エッセイ」でしょうか。毎日などとノルマは課さず、何か「考え」の端緒をつかんだと思ったら「書きはじめる」というものです。とにかく「考える」こと、考えたことに言葉を与えること、これが習慣化すると「書く」ために「考える」となり、どちらが先かわからなくなり、いつしか呼吸をするように「考える」=「書く」となっていたのでした。

  私にとって書くこととは、生きることと同義ではないか。

というのは、ある評論家の言葉ですが、この言葉に触れて受けた衝撃を身体感覚で覚えています。このようなことを活字で表出する度胸などありませんが。

 こうした状況がそれこそ5年以上続き、話を戻せば、これが読書と並行して行われていたのでした。「読解力」が「表現力」の成長を促し、「表現力」が「読解力」の成長を促すというような関係であり、こうした螺旋型の経験値が思考の深まりを支えるという仕組みであったと思います。