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高3の夏③

最終更新: 2019年8月26日

 今年の高3生は、夏に入って俄然様子が変わってきているように感じています。

 修立学院の夏期講習会は講座制で、高1から高3まで学年を問わず自由に受講することができます。高1が高2や高3の講座を受講することもできますし、高3が高2の講座を受講することもできます。高3の講座は、基礎をやり直すという趣旨の講座もありますが、教科の地力を大きく前進させることを狙いとする講座もあります。たとえば、私自身が担当している講座でいえば、現代文・古文では難度の高い文章で考え抜くことを促すような教材を用意しました。日本史では一橋大学の記述問題を扱いました。いずれも要求されていることは、通りいっぺんの知識を問うのでなく、事項や内容についての深い理解をもとに、それを説明するというものです。わかっているようだが問われてみると説明がむずかしく、現代文では「昨日から今日にかけて3時間考えた」と言っている生徒もいました。受験勉強において1問に3時間もかけることがよいかどうかは議論のあるところでしょうが、私としては、そのような経験が「こだわり」や「深い理解」をうむのならば、本人の思考レベル全般が深まる可能性もあるという意味では肯定的で、部活が終わって本腰が入ってきたこの時期だからこそ許されると考えています。もちろん、学習計画の範囲内でのこと、他の必要な学習をおろそかにしない範囲でのことです。重要なことは、そうした取り組みを前提とした授業では生徒たちの吸収力が格段に増しているように感じられることです。授業をしていても、わからないなりに真摯に、そして生き生きと取り組んでいるように見えます。 

 前々回のブログの最後に「歯がゆく思う」と触れたのは、ひとつにはこの点に関してであり、それはこれまで「ギリギリ越えればいい」という思考法になっているように見えていた点です。「ギリギリ越える」学習は、試験の出題傾向にあわせて学習するということであり、「これは試験に出るのか」という観点で力の抜き差しをします。こちらからすると小さくまとまろうとしているように見え、自然のなりゆきとしてそうした学習は変化に対応するのが難しくなります。そうした学習(=「お勉強」)を大学に入っても続けるつもりでしょうか。一方で、「突き抜けた」生徒は何を与えられても突き抜けます。

 そういう意味で、この講習会、Ⅲ期・Ⅳ期の講座(少なくとも私の担当している「私大古文演習」「国立二次現代文演習」「国立二次日本史演習」)では、一部の高3生がのめり込みつつあるように見えました。

 高3生よ、わかっているね。復習だよ。自分のペースで考えられる。自分のものにしてくれよ。