• ogata

8月15日。

最終更新: 2019年8月26日

 ギリギリ間に合いませんでした。日付をまたいでしまった。


 8月15日とは、何の日なのでしょう。「終戦の日」? あるいは「敗戦の日」? 

 あるコラムで、日本人が忘れるべきでない日として、6月23日、8月6日、8月15日などなどが挙げられているのを読んだことがあります。これらの日が妥当であるかどうか、つまり、記憶すべき「出来事」として沖縄戦・原子爆弾投下・終戦を挙げることが妥当なのか、また、沖縄戦について言えば、司令官と参謀長が自死し日本軍の組織的戦闘が終了した23日が妥当であるかどうか、検討していくときりがない(開戦の日を挙げるべきだろう、ならば、なぜいつ開戦を決定したのか、というように)、触れない方がよいのかもしれません。

 8月15日は、いわゆる玉音放送の日です。つまり、昭和天皇の言葉によって終戦が広く国民に伝えられた日です。何をもって「終戦」とすべきかを問題とすれば、問題は簡単ではありません。こころみに前後の経緯を挙げてみます。

○6日、広島原爆投下

○8日、ソ連対日宣戦布告、満州侵攻

○9日、長崎原爆投下

○10日未明、聖断、終戦決定、連合国に(条件をつけて)通告

○12日、バーンズ回答

○14日未明、ポツダム宣言受諾決定、連合国に通告

○15日、玉音放送、鈴木貫太郎内閣総辞職

 時の首相鈴木貫太郎が、ポツダム宣言受諾を方針として(その他にも終戦の方法が研究されていたことが知られています)周囲に終戦の意思を表明し具体的な動きを指示したのは、長崎への原爆投下を知った閣議の直後(9日午後)のようです。いわゆる御前会議において「ポツダム宣言」の受諾決定は二度行われました。一度目は条件つきです(9日から10日に日付が変わる頃)。「天皇の国家統治の大権を変更するの要求を包含しおらざることの了解の下に帝国政府は右宣言を受諾す」、です。わかりにくい表現ですが「天皇主権の国のかたちが存続できるなら受諾する」。これに対する連合国側の回答がいわゆるバーンズ回答(正式には12日)といわれるもので、これがまた日本側に物議を醸します。回答文中の「be subject to」という表現を巡る議論です。「隷属」と訳した陸軍、「制限下におかれる」と訳した外務省、さらに政府の見解も異なり、すんなりと事は運びません。これも天皇自身の決断(=聖断)によって乗り越えられて受諾決定に至ります(14日昼)。15日玉音放送、9月2日降伏文書調印式。

 要するに、専門家でもないかぎり、いつが終戦の日なのかはわからないということでしょう。

 記憶しておくこと(戦後生まれのわれわれならばその前に「知ること」)、そして繰り返さないことが事の核心であるならば、記念日はそのシンボルであればよいのかもしれません。私個人は、継続的に昭和史を学んでいますので、この日を特に選んでどうのこうのという気分はありませんが、やはり外を歩いていて15日の蒸し暑さに閉口しながらふと、「日本人とは何か」を思うことはあります。