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高3冬期講習会②

 京大の国語添削指導講座のほうも、このところ小説文を解いています。京都大学の小説文は金箔付きの難しさ(だそうです)。昨日のアドバイスは、「小説を分析的に読む」ということ。ちょっとやってみます。


①京都の予備校では過去問の解説が行われていた。

②ちょうどその時、

③東京の三鷹でも過去問の解説が行われていた。

④受講しているKくんは、

⑤「ああ、おもしろい」と思った。


下手ながら、上のような一節があったとします。小説を分析する手法の一つに「語り」に注目するということがあります。上記①~⑤について「語り」「語り手」という考え方を導入するとどのようなことが考えられるか。

 「語り手」は概念的なもので「作者」とは区別して考えます。われわれが小説を読んでいるとき、誰かの声を聞きながら読んでいるように感じますが、その「誰か」を「語り手」と考えるわけです。「語り手」が「作者」ではないということは、たとえば『吾輩は猫である』を想起すれば納得のいくところではないでしょうか。『猫』の場合、もちろん「作者」は夏目漱石、「語り手」は猫、です。

 この「語り手」、小説の叙述の進行において、実は、現実には起こりえないさまざまな離れ業をやってのけます。上の①~⑤について。まず、②で示されているように同時刻の①「京都」と③「東京」で起きていることを語ります。いわば時間・空間を超えてしまう。さらに、④「Kくん」と呼んで第三者的な立場にいたはずの「語り手」は、⑤でKくんの心の中にまで入り込んでしまいます。いわば、超越的な存在。

 こうして「語り手」の存在を考えておくと、小説文の叙述の展開は「語り手」の意図が現れるものと見ることができます。たとえば、

○この部分でこの挿話が語られていることは、語り手の何らかの意図がはたらいている

というように根拠づけて考えられるようになります。


 実は、昨日の京大の小説の第一問目は、受験生たちも「何を書けばよいかわからなかった」ものでしたが、以上のように語り手の存在を考慮しつつ考えてゆくと、何を書くべきかについて根拠づけられる、というものでした。解説を聞いた生徒たちも納得せざるをえなかったのではないかと思いますが、「そんな読み方はふつう(の読書では)しない」というのが正直なところではなかったでしょうか。そのような思考方法を用いるという点では、小説文を解くときの思考法はまったく高度です。