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論述指導の今③ 表現

 国公立大学二次試験の論述。

 最終的に、つまり「今」課題となっていることは、「解釈した」内容について、適切な日本語で表現するという点です。


「わかった」のは頭の中だけのこと、あたりまえのことですが、受験である以上、表現しなければ点になりません。ですから、特に国公立大学受験の場合、解釈した(「わかった」と思った)ことをどのように説明するかという点で、適切な日本語の選択と、わかりやすい日本語の書き方、そして何より論理性が必要不可欠です。


 現場で。英語の教師が採点を終えて生徒に返却しています。答案を横取りして記述の答案を見せてもらうことがあります。もちろん、私は英語の問題文など読んでいませんし、したがって正解などわかりません。しかし、そうした私でも「一読してすっとわかる」答案を書け、と指導します。「採点するおやじに読解をさせるような日本語ではいけない」とも。


 いわゆる逐語訳(一字一句を原文に忠実に訳す)はどこか「ぎこちなく」なりがちです。ひどい場合には、答案=日本語(現代語)訳を読んでも何が書かれているのかさっぱりわからないこともあります。これでは点になりません。

 昨春京都大学に合格したTくんは、努力家でした。高2の夏に古文の授業をしていて、部分の訳を示すと「先生、そんな意味は単語帳には載っていません」と断言します。高2の時点で古文単語が単語帳レベルでパーフェクトに頭に入っていることにまず驚きました。しかし、反面、「堅さ」は「硬さ」でもありました。単語帳や辞書がどのようなところからできあがっているかについて想像を巡らせれば、単語帳が絶対だと言うことはありえません。ある単語の語義について、単語帳に3つの意味が載っていれば、それを全て覚えて(それだけでもたいした「堅」実さだと思いますが)あらゆる文脈において当てはめようとすると(「硬さ」)文脈によっては不自然な訳ができあがります。


 英語なら横書きですが、国語ですから縦書きをイメージします。ある部分の単語についていえば、単語帳(や辞書)に載っている意味は、一般的な、横並びの意味です。いわば横軸。「横の記憶」だけで訳語を考えるだけでなく、「縦の思考」も必須であることは自明のことです。「縦」とはその文章における文脈。もちろん「縦」だけでもいけません。あくまでも逐語訳ができなければ勝手な読みになってしまいます。語義の広がりの許される範囲の中で(=横)、文脈に応じた(=「縦」)訳語をひねり出し、それを積み重ねていって初めて「なめらかな日本語」となります。


 この時期の論述添削の焦点の一つが、この「適切な日本語」の選択ということです。提出された解答を一読して、わかりやすいかわかりにくいかを感じ取ります。すでに夏・秋のころからそうした課題点を指摘し続けていますから、高3生の答案作りの際の意識は相応に高まっています。個々の答案で意図、工夫の跡が感じられるようになっています。が、それでも「ぎこちなさ」を抜け出すのは大変(らしい)です。

 「これじゃない?」。示してあげると「あ、それです」とくる。