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論述指導の今② 厳密かつ一義的な解釈

 英語で言えば長文解釈。国語で言えば現代文、古文。

 語彙力を増やして、文法や語法を習得して、構文をとる練習をして、あとは読む量を増やすこと、これが読解の学習の王道です。もちろん、今年の高3生もこうしたプロセスを経てきています。

 難関と言われるほどの大学が出題する文章となると、すらすら読めるというようなものではありません。どういうことが書かれているのかについて「主体的な読み」が成立していなければなりません。今いう「主体的な読み」とは、読み手の側で「こういうことが書かれているのではないか」という「仮説」を自分の頭の中で作り上げながら読むということです。しかも、厳密に、かつ一義的に。もちろん、自分勝手な仮説であってはならないわけで、ある程度の妥当性が担保されていなければ恣意的な解釈でしかありません。この仮説の妥当性は、ひとまず、文章全体、もしくは文章中の他の箇所との整合性がとれていることでわずかに保つというものです。恣意的な解釈に陥らないギリギリのところで「読みを成立させる」ためには、客観性やバランス感覚が重要な要素を占めています(国語が苦手な受験生の一つのタイプは「思い込みのはげしい」猪突猛進型であるように思います)。こうした課題を抱えた生徒を指導するのは大変です。 

 こうした知的な作業を経た上でないと解答にたどりつけず、勘で解くしかなくなり、そうなると経験した読書の量に左右されることとなり、不足している場合は「国語が安定しない」ことになりかねません。私が感じているところで言えば、「勘」や「感覚」だけで厳密に読むことができ、安定的に解答できるほど豊かな読書経験を経てきている受験生は、年々減っています。近年で言えば「珍しい」。逆に言えば、読書経験の有無を超えるためには理にかなった読み方を習得すればよいのです。

 話がズレました。厳密な、かつ一義的な読みを成立させるということ。この段階の指導は、「どのような思考をしているのか」、それこそ「頭の中をのぞきこむようにして」思考プロセスをさぐりながら、あるいは私の「頭の中をさらけだすようにして」指導することになります。


 ところが、それだけではありません。「今」、受験生が直面している課題は、「解釈した」内容を、適切な日本語で説明するということです。語彙や文法の学習をすすめ、読解の量を増やしてようやく読む力がついてきた。しかし、わかっているのにピタッとくる日本語が出てこない。今現在指導している高3生にしても、例年の高3生も、最終的につきあたる課題はこの点にあります。