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日本史の人2 加藤友三郎2

 時に第一次世界大戦が終結。世界はいわゆる国際協調の時代へと入ります。ワシントン会議1921~2はこうした流れの中で開催された軍縮会議ですが、首相原敬が日本全権として指名したのが加藤友三郎でした。八・八艦隊を作り上げた張本人が、すぐさま自ら滅ぼす立場に立ちます。 

 ワシントン会議の第一回総会の冒頭、アメリカの国務長官ヒューズは「爆弾提案」として大胆な軍縮案を表明します。世界が注目する中での第二回総会、加藤は以下のような演説を行います。


○……(ヒューズの)提案が各国の無駄な出費を大きく減らし、そして世界の平和を促進することを考えると大いに満足する。……日本は、喜んで提案を主義として受諾し、あえて海軍軍備の大々的な削減を始める用意がある……


固唾をのんで見守っていた世界は、加藤の演説に喝采します。しかし、具体的な細部の交渉に入るといくつもの難題が立ちはだかります。海軍内部ではもともと、対米7割の戦力を絶対守るべきラインとしています。加藤の随員の中にも条約締結に反対する者は大勢いました。しかし、加藤は決断します。対米6割。日本の海軍次官宛てに加藤が筆記させたとされる次の言葉はたいへん有名です。ちなみに筆記したのは堀悌吉、あの山本五十六の親友です。本当は全文を引用したいところですが、部分のみ。原文のまま引きます。


○……即ち国防は、軍人の専有物にあらず。戦争も亦、軍人のみにして為し得べきものにあらず。国家総動員してこれに当たるにあらざれば目的を達しがたし。……平たく言えば、金がなければ戦争ができぬと言うことなり。……


 後年日本全体がおかしくなる中で、海軍の一部の「良識派」たちはこのセリフを常に引用していたと言われます。少なくともこの当時の軍人の言葉には、後に軍部の公文書ですら支配的となる、精神主義や虚飾に満ちた表現は見られません。「国家総動員」というドキッとする言葉も見られますが、第一次界大戦終結直後のこの時期、軍部の中枢では新たな近代戦争のかたちとして「総力戦」思想がすでに共通認識となっていたものです。注意したいのは「国家総動員」が必要だからこそ厳密かつ冷静に数字を検討していくべきであり、その結果、戦争などできたものではないという結論が導かれている点です。

 ともあれ、この加藤の決断で軍縮条約は締結されました。全権として参加したワシントン会議を機に、加藤は国際協調という世界の潮流を読み、決断し、「世界で最も信頼されるステーツマン」となります。

 帰国後、加藤は内閣総理大臣となって、海軍軍縮を主導し、一方で陸軍の軍縮にも着手します(山梨軍縮)。また、シベリア撤兵。ところが、首相就任1年足らずで病死(大腸がん、1923年8/25)してしまいます。


 約10年後、ロンドンで海軍軍縮会議が開かれた時、全権団の中に海軍大臣が参加していたにもかかわらず、部内(軍令部)の条約締結反対は大きなうねりとなり、政局もからんで一大事件にもつれこみます(統帥権干犯問題)。随員のひとりで条約締結を是とする山本五十六が何を思ったか、想像に難くありません。