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日本史の人1 加藤友三郎1

 明治維新にはじまる近代日本の歩みは、日露戦争の勝利によって頂点に達したのち、同じだけの時を経て太平洋戦争の敗北という破滅に瀕します。その、頂点の時期に海軍の中枢に位置し、歴史の岐路において、国際的な視野を持って国家を指導する立場に立ち、道半ばで病に倒れた人が、加藤友三郎です。


 加藤友三郎。高等学校で日本史を学んだ人ならば知っている名前でしょう。細面でやや神経質そうな顔つきですが、少年のあどけなさをどこかに残しています。その後の生涯がそうであったように、肝心な局面で病に悩まされつつも芯の強さで乗り越えてしまうような複雑な表情が印象的です。

 幕末の激動の時代、広島藩(浅野家)の下級武士の家に生まれ(1861=文久元年)、ものごころがついたころに明治維新。草創期の海軍にすすみます。日露戦争における日本海海戦1905の際は連合艦隊参謀長。司令長官東郷平八郎のすぐ側にいて「奇跡」を現出させたスタッフの中枢です。参謀長という立場にあって、対バルチック艦隊撃滅の作戦立案の手柄はポンと秋山真之に渡してしまって、国家ぐるみで勝利の歓喜に酔いしれている中で当人はいかめしい表情を崩しませんでした。

 日露戦争で世界の「第一等国」にのぼりつめた日本は、さらなる軍拡の道を選びます。1907年の帝国国防方針。陸軍との対立から予算獲得のため仮想敵国としてアメリカを想定し、海軍の軍備拡張案を提出した国家戦略です。もちろんこれが直ちにアメリカとの抜き差しならない対立となったわけではありませんが、少なくとも軍部において対アメリカが明瞭に意識されたのはこの時点です。以後、海軍はいわゆる八八艦隊(戦艦八、巡洋戦艦八を主力とする計画)の実現に向けて進みます。予算案が議会で可決するのは1920年、原敬内閣。この時海軍大臣として八・八艦隊実現に尽力するのが加藤友三郎です。