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夏のひとこま

 今日から私どももお休みをいただきます。今年はどこにも行かず、天気もよくなさそうなのでおとなしく本を読んでおります。ただし、なにしろ心配でならないのは生徒の今です。反動がこわい。疑うわけでは決してないのですが、数%でも不安なものは不安です。

 「数%」といえば、……今日はスーパー銭湯にでも行こうかしらん。


 講習会Ⅶ期のある日、中3の生徒どうしが話をしていました。その中のある生徒が中学校の友達と話していて、○○塾の友達は「今日3時間も授業があった!」、別の○○塾の友達は「あたしは5時間も塾にいた!」と話していたそうです。がんばりくらべの会話でしょうか。その場にいたうちの生徒は、「自分のことを話すのもなんだから『すごいねえ』って言っておいた」と、ごく自然な笑顔で話しています。「塾がないから旅行に行っていたんだって」「わはははは」「わはははは」。私の前で話をしている3人の生徒たちは、自分たちが毎日11時間以上真剣勝負をしてきたことに控えめな自負をもっているように見えて、敬意を覚えました。 

 受験勉強は、何かを犠牲にして、何かを我慢してやるものではないと思います。「そこ」に入り込むまでは実際に何があるのかはわからないものです。初めは尻込みもするでしょう。その時(=夏)を迎えてみると、予想以上の大変さにおののく瞬間もあったかと想像します。でも、そこで逃げ出さないでがんばり続け、自分の中で当たり前と思えるまでになると、自然な感情として目標を達成したいと思うようになるのでしょう。昨年の中3生の日記に忘れがたい言葉がありました。8月30日、一年前の「決戦」の合格発表後です。「1ヶ月前、書かされたような目標であったものが、自分の目標へとだんだん変わってきて、今日達成できて嬉しい」という言葉です。こういうのを「実存」というのでしょう。私などが到達しようとしてなかなか到達できない境地です。努力を続けることで、勉強は何かを我慢してやるものでなく具体的なレベルで「やりたいもの」となり、目標は「自分の目標」となります。別のある生徒は「ずいぶんスマホを触ってない」「興味ない」とすまし顔でした。そういう意味で、1年前日記を書いた生徒、数日前「わはははは」と笑顔を見せていた生徒たちは、確実に「生きている」と言えると思います。 

 そうした生徒たちは、もともと勉強ができる、あるいは勉強が好きという生徒だけでは、必ずしもありません。「夏」前まではみんな部活に一生懸命です。……マンガ、ゲーム、スマホ、パソコン。ところが、例外なく毎年、夏を迎えてほとんど全員が上のような状態に入っていきます。1年前の日記は「そういう状況に言葉をあてはめることができる」生徒だからこその「表現」であるわけで(その生徒のすごさはここにあります)、1年前の収穫祭でこの言葉を読み上げた際他の生徒たちが一様にうなづいていた光景を明瞭に思い出すことができます。無論、「みんなが頑張っているから頑張れる」という要素が最大のものだと思います。が一方で、われわれの用意している環境や仕掛けが、そうした状況を現出させるのだとも正直に思います。その意味では、われわれ修立学院の存在意義があるのかなと。