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国公立大学入試の国語②

 京都大学の二次試験の国語。

 まず決して難しくはない文章。そしてストレートな設問。

 ところが、解答作業のプロセスにおいて、あれこれ考え込んでしまいます。念のため添えておけば、採点をする立場上、解答例と採点の基準をあらかじめ定めておきます。それでも実際に提出された答案を見ながら考え込んでしまいます。解答までの一連の流れを終えると、おそらく受験生もそうでしょうが、さわやかな疲労感が心身を包み込みます。

 「考える」ことは疲労感をともないます。〈話す/聞く〉もそうですが〈書く/読む〉行為は、一義的な理解を求めようとすれば厳密にならざるを得ません。そのためにはさまざまな解釈の可能性を考え、それぞれの妥当性を検討し、「表現」を選びます。設問に対して解答する以上、〈読む〉行為にも「読む」あとの「表現」が求められます。

 冒頭「決して難しくはない」と述べました。語弊があるかもしれませんが、読書をする感覚であればということです。読書の場合、多少わかりにくい部分があっても、こだわらずに先へ先へと読み進めていくのが大方のところではないでしょうか。細部に不明瞭な部分があっても、大意がつかめれば(あるいは快楽の雰囲気を味わえれば)よいではないか。

 私が常々、読書と入試の国語は違う、と発言しているのはここのところです。いわば流れていく読書に対して、入試の国語は立ち止まらせます。立ち止まって「この部分はどういうことを述べているのか」について、一義的に、かつ厳密に解釈することが要求されます。設問に解答するという段になると、さらに考え込んでしまいますし、逆から言えば、小憎らしいほどそういう部分を選んで傍線が引いてあるということです。